欠けて来た情操教育と「さびしんぼう」

秋葉原の凄惨で残忍な事件の犯人は、意外にも極普通の男で
それの凶行としては、いささか考えられない面もあり、また内在
していた不満や劣等感が引き金とも取れるが・・・。
あの事件をマスコミ報道やネットで見ていて、ふと思い出した映
画が、大林宣彦の「さびしんぼう」だった。


画像


http://jp.youtube.com/watch?v=hHIOlWzN0Z4
「さびしんぼう」 八十五年公開作

http://jp.youtube.com/watch?v=_rfxS3f_5RE
エンディング

物語は山陽・尾道のお寺の独り息子の淡い恋を主軸に、その息子に潜む母への
憧憬にも似た思いが、ファンタジィーに描かれている。
他校の憧れのマドンナの表情から主人公が「さびしんぼう」という渾名をなずけ、そ
れによって現れることになる古いアルバムから抜け出てきたピエロの仮装をした女
の子と主人公との、いや心に淀む思いをピエロの「さびはんぼう」に話すことで、自
分で再確認するし、またいつしか心を許しているピエロの「さびしんぼう」に変な愛着
を持つようになる。
ただ主人公の淡い恋は、実ることなく終るのだが、その刹那にピエロの「さびしんぼう」
も儚く消えてしまう・・・。
と、ストーリーは初恋の淡い芽生えと、恋をしているいや片思いの間中、人の心には
告げられない思いという「寂しさ」が宿り、それを紛らわすかのように現れるピエロという
この男の子を見守る「若かりし日の母」という、背後に誰かいる安心感を良く映像にした
ためていた。
そして出演シーンは少ないが、小林念侍演じる父親もいい味を出していて、父性の存在
感を見せていた。
両親の互いのアプローチは違えども、子を思う親心という普遍な事柄を、噛み砕くみたい
な優しさで表現している。こらは監督の真骨頂なのだろう。
まぁ、今ではこの監督の性癖が少しばかり、あやしいとか何とかもあるが、一定の成長期
を描かせると、優れた映像となるのはそういったところを勘案しても、素晴らしい才能だと
は思う。
主題歌は「ショパン」の別れの曲、これに歌詞をつけてマドンナとピエロを演じた富田靖子
が歌っているのだが、声の心地良い響きととても合っていて、映画全体を淡く包んでいた。

と、この映画では淡い恋においても、どこかに現れたりと隠れたりの親の思いというもの
を子供が理解していく過程としても描いていて、失いかけている家庭を、尾道の綺麗な夕
景に反映させていた。
で、話しを秋葉原の事件に戻ると、成長期の子供と濃密な関係を築かなくても、それなり
に子供は感じ取り成長していく・・・。
のはずだが、挫折感や劣等感をどう克服するかは、本来は本人次第であり、もう親の関
われる範疇ではない。
ところがいざ事件が起これば、それを許さない権力がある。
そうマスコミである。ある時は政府の責任、ある時は親の責任、ある時は社会の責任、
ある時は時代の責任、そしてそれを巧い具合に使い分け、何より「他人事」として追求し
て行く。そこには事件を起こした犯人の背景をどこかに押し込めたい、あるいは自分達
の範囲から遠ざけたい思惑が露わになって、とてもジャーナリズムとは言い難い、印象
操作くささが見えて来る。
今回、犠牲になった人々は気の毒であり、この犯人の身勝手な行為は許されるもので
はないが、それと同じくらいに派遣という不安定な立場、そして同じ会社において正規
・非正規の社員がいる歪みを、経済面から正当化している社会。ピンハネという以前
であれば相当に叩かれる行為が「人材派遣」というもっともらしい言葉で、ベールに被
せ、競争社会を生きぬけと言いつつ、格差社会の歪に警鐘を鳴らし、それでいて大ス
ポンサーであれば、原因を子供の成長過程に持ち込み、ゆがんだまま結論を急ぐ。
安倍首相が提案していた「再チャレンジ社会」などは簡単に忘れられ、封建制度よろ
しく権力を振りかざすマスコミは高賃金、そして経営者は最高責任者として、その下
に正規社員、でその下に非正規社員、その下に派遣社員と構造化を推し量る。
これを江戸時代に当てはめれば、士農工商、そしてその下に非人となって差別意識
でなく、それが当然の社会形勢、そして封建主義の歪みを正して明治となり、民権運
動華やかとなって差別の意識と形勢が明らかになり、それへの解消が進むが、戦争
に負け価値観が変化していくと、いつしか金の威力が全体を覆い尽くし、金のないイ
ンテリが反旗を翻し、主張し始めるが一旦利権というものを手にしたものは、それを
手放せなくなってくる。勿論そこにはマスコミという利権も含まれる。
だから経営者、労働組合とがっちりタッグを組むと、なんとその下に非正規雇用とい
うものを作り合法化を計る。「自分の身は可愛い」から、他人の不幸まで手が回らない。
そこに精神的な「ゆとり」でもない、ゆとり教育を推し進め「打たれ弱い」弱者を産出し
てしまう。
フリーターなる言葉の裏に潜む「将来的な絶望」を隠し、より享楽的思考へと変化させ、
はたと気づいた時は、既に遅かった・・・。
で、挫折を乗り越える意欲も意識も教育されていないから、「自暴自棄」と相成る・・・。
そう「指示待ち」に陥る環境が、いつの間にテレビとういう媒体を通して形成されてしま
い、相互依存の関係が壊れてしまった。
と、まぁ、今回の事件の一因には、日本のすべての面においてエゴを押し通す人々が
作り上げた「他人に厳しく、自分に甘い」社会があるのではないだろうか・・・。

「さびしんぼう」 他サイトよりの記事を多少加筆した転載文でした。


                  最後までお読みいただき「ありがとうございました」

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