プロ市民、プロ被害者、華やかなりしプロの世界
一部聞えてくるプロ市民、プロ被害者ってなんだ?・・。
まぁ、プロといえばプロフェショナルの略だから、金銭が付いて回る話だし、
誰でも働く人は職業的にはプロだろう。労働対価を得ている以上・・・。
プロ市民と揶揄されるのは、なんとか市民団体って、自分達の思惑を押し
付ける団体さんの団体職員って奴だと思うけど、まぁその他、いろいろな
言葉を並べた任意団体も同じ扱いだろうけど、そりゃ職業となれば踏ん
張って頑張りますわな・・。
しかしそれって思想信条とは、違ってまいりませんか?。
労働対価に思想はないし、食べ物にも思想はない。
右翼だから、左翼だからで特定の食べ物は存在しない。
ましてそれを買う対価は言わずものがなだ。
市民運動は解決されるべき対象があって初めて生まれるものだろうが、
常設の市民団体は、それが飯の種になり解決されれば・・・。
そこに欺瞞があり、胡散臭さの生まれる要因だろう。
これに類する動物保護団体、環境保護団体も自ら律しなければ同じ目で
見られてしまう。
そしてプロ被害者ってやつだ。
これはもう大体察しがつくだろうが、「慰安婦」及び企業不祥事にに湧いて
くる被害者達、あの雪印の食中毒、マスコミでは一万人と叫ばれたが、
実際は雪印社員のお詫び行脚で見えてきたのは、腹痛の「自主申告」が
大部分であった、と、畜産関係者に聞いたことがある。
そして不二家だ、五千件のクレームのほとんどが香ばしい薫りを放つ。
そんな中、被害者で今では忘れられている人々がいる。
先の大戦の傷痍軍人達だ。一応軍人恩給等手当てが出ているのだが、
それにしたって「白衣募金者」という、異様な服装の人達の一掃をするべく
法令化されたのに過ぎない。ここに面白い論文があるので、引用させても
らう。著者は「植野真澄」さんて方である。
「左派メディアに見られる白衣の傷痍軍人像の変遷は、左派政党の再軍
備反対の方針、平和運動の論理があくまでも労働運動を中心基盤とした
組織の論理であることを反映しており、そこで目指されるのは日本国内の
生活の安定であったため、その「安定」の波に乗ることの出来ない人々、
たとえば傷痍軍人のような社会的弱者を切り捨てる側面があったことを示
唆しているのではないだろうか。白衣の傷痍軍人を国策のあり方、あるい
は政府批判する材料と捉えることは出来ても、当の傷痍軍人の境遇その
ものに対する固有の解決策は何ら打ち出せずに、自国の生活の安定を主
張する組織の論理を裏付けるための、単なる材料としてしか彼らを捉えら
れなかったともいえよう」 引用終わり。
これは戦争後の生活の安定において置き去りにされた「戦争被害者」への
報告になっている。そして生活の安定がある程度なされた時、再び「戦争
被害者」が浮上してきた。
自分達が自国の「戦争被害者」は見捨てておいて、なんと他国の「戦争被
害者」と自主申告した人々を擁護し、と相成る。
これは一体どういうことなのだろう。
たしかに私が幼い頃、縁日や祭りの時、この「白衣募金者」は見ている。
足がなかったり、腕がない、そしてアコーディオンで哀しく軍歌を演奏し、
浄財を集めていた。
これもある時を境にぷっつり見なくなる。同じ傷痍軍人同士で「恵んで貰う」
を良しとしない人々による、法制化及び説得によって消えていく。
もっともこの白衣の募金者にも、「傷痍軍人」でない人も多くいたらしいが。
ここで左派のメディアの欺瞞が、また一つ。
そう「戦争犠牲者」は、道具であり、救済の手助けではない点だ。
体制批判はしても、ではその体制を転覆させて自分達で新たな体制維持で
きるのかの議論はない。
と、なるとプロの批判家で、それ以上でも以下でもない、いらない存在とも言
える。建設的意見は皆無で、こちらの「戦争被害者」見捨てて、他国の「戦争
被害者」は救済しろでは、とんと論理矛盾なのだ。
そこには時間的差異がない。どちらも先の大戦なのだから・・・。
ここに左派メディアの「道具」としての慰安婦が浮かぶし、左派の自国がどこ
なのかが分からなくなる。
戦争の認識を叫ぶのであれば、自国の「傷痍軍人」を忘れていては話になら
ないし、それこそが日本のメディアの役割なのではないか。
「国益」が言われる世の中、それを毀損する発言を堂々と出来るのは、国籍
のない人間のみだろう。
何しろ「生活の安定」で「戦争被害者、傷痍軍人」を蔑ろにして来たのだから。
プロ市民、プロ被害者花盛りだが、これも経済発展のなせる技かもしれない。
民事でよく言われる「金のない人は訴訟を受けない」そりゃそうだ。
金の支払いがないのに、裁判をぶつ利がない。
しかしおかしな訴訟を起こす人もいる。訴訟賠償額一万円、少額訴訟の場合
大概は和解を勧める。訴えられているのは出版社である。
一万円という姑息な賠償額が示す思惑は、謝罪文の掲載でチョンだろう。
曰く「当事者に取材せず記事にしました、ここにお詫びいたします」で、朝日
同様、それを見る人もいないくらいの小さいものであろう。
訴えた人はそれで大満足なのだ。いやそんなものはどうでもいいのだ。
訴えた事実が必要で、それが賠償額一万円であってもだ。
要するにポーズをとらなければならない必要が、夏に迫っているから・・。
何とも自己都合で、自分の名誉だったら「刑事告発」しろよなのだ。
一事が万事これの繰り返し、その他の例では、東京都の教職員「君が代訴
訟」もあの地方裁判所の少し変な判事まで訴訟を待って提出って・・・。
ここで見えてくるのは、企業の思惑と良く似た、利潤の追求だ。
自分達にとっての利潤、それは自分達の主張が通ったことであり、それで犠
牲になる人や事柄には一切感知しない。
さて、これが思想なのか?、企業ももっともらしく理念を掲げるけど、それと全く
同じ態様である。
だからプロ市民、プロ被害者って語句が当然のように出てくる土壌を自ら作り
出しているのを、そろそろ自覚したのがいいのではないか・・・。
でなかったら、はっきり「日本は嫌いです、だから他国の応援のために記事
に、政治活動をしています」と、発言してもらいたいものだ。
障害者という言葉の中には「傷痍軍人」も、入って当然である。
最後まで読んでくれて「ありがとう」
まぁ、プロといえばプロフェショナルの略だから、金銭が付いて回る話だし、
誰でも働く人は職業的にはプロだろう。労働対価を得ている以上・・・。
プロ市民と揶揄されるのは、なんとか市民団体って、自分達の思惑を押し
付ける団体さんの団体職員って奴だと思うけど、まぁその他、いろいろな
言葉を並べた任意団体も同じ扱いだろうけど、そりゃ職業となれば踏ん
張って頑張りますわな・・。
しかしそれって思想信条とは、違ってまいりませんか?。
労働対価に思想はないし、食べ物にも思想はない。
右翼だから、左翼だからで特定の食べ物は存在しない。
ましてそれを買う対価は言わずものがなだ。
市民運動は解決されるべき対象があって初めて生まれるものだろうが、
常設の市民団体は、それが飯の種になり解決されれば・・・。
そこに欺瞞があり、胡散臭さの生まれる要因だろう。
これに類する動物保護団体、環境保護団体も自ら律しなければ同じ目で
見られてしまう。
そしてプロ被害者ってやつだ。
これはもう大体察しがつくだろうが、「慰安婦」及び企業不祥事にに湧いて
くる被害者達、あの雪印の食中毒、マスコミでは一万人と叫ばれたが、
実際は雪印社員のお詫び行脚で見えてきたのは、腹痛の「自主申告」が
大部分であった、と、畜産関係者に聞いたことがある。
そして不二家だ、五千件のクレームのほとんどが香ばしい薫りを放つ。
そんな中、被害者で今では忘れられている人々がいる。
先の大戦の傷痍軍人達だ。一応軍人恩給等手当てが出ているのだが、
それにしたって「白衣募金者」という、異様な服装の人達の一掃をするべく
法令化されたのに過ぎない。ここに面白い論文があるので、引用させても
らう。著者は「植野真澄」さんて方である。
「左派メディアに見られる白衣の傷痍軍人像の変遷は、左派政党の再軍
備反対の方針、平和運動の論理があくまでも労働運動を中心基盤とした
組織の論理であることを反映しており、そこで目指されるのは日本国内の
生活の安定であったため、その「安定」の波に乗ることの出来ない人々、
たとえば傷痍軍人のような社会的弱者を切り捨てる側面があったことを示
唆しているのではないだろうか。白衣の傷痍軍人を国策のあり方、あるい
は政府批判する材料と捉えることは出来ても、当の傷痍軍人の境遇その
ものに対する固有の解決策は何ら打ち出せずに、自国の生活の安定を主
張する組織の論理を裏付けるための、単なる材料としてしか彼らを捉えら
れなかったともいえよう」 引用終わり。
これは戦争後の生活の安定において置き去りにされた「戦争被害者」への
報告になっている。そして生活の安定がある程度なされた時、再び「戦争
被害者」が浮上してきた。
自分達が自国の「戦争被害者」は見捨てておいて、なんと他国の「戦争被
害者」と自主申告した人々を擁護し、と相成る。
これは一体どういうことなのだろう。
たしかに私が幼い頃、縁日や祭りの時、この「白衣募金者」は見ている。
足がなかったり、腕がない、そしてアコーディオンで哀しく軍歌を演奏し、
浄財を集めていた。
これもある時を境にぷっつり見なくなる。同じ傷痍軍人同士で「恵んで貰う」
を良しとしない人々による、法制化及び説得によって消えていく。
もっともこの白衣の募金者にも、「傷痍軍人」でない人も多くいたらしいが。
ここで左派のメディアの欺瞞が、また一つ。
そう「戦争犠牲者」は、道具であり、救済の手助けではない点だ。
体制批判はしても、ではその体制を転覆させて自分達で新たな体制維持で
きるのかの議論はない。
と、なるとプロの批判家で、それ以上でも以下でもない、いらない存在とも言
える。建設的意見は皆無で、こちらの「戦争被害者」見捨てて、他国の「戦争
被害者」は救済しろでは、とんと論理矛盾なのだ。
そこには時間的差異がない。どちらも先の大戦なのだから・・・。
ここに左派メディアの「道具」としての慰安婦が浮かぶし、左派の自国がどこ
なのかが分からなくなる。
戦争の認識を叫ぶのであれば、自国の「傷痍軍人」を忘れていては話になら
ないし、それこそが日本のメディアの役割なのではないか。
「国益」が言われる世の中、それを毀損する発言を堂々と出来るのは、国籍
のない人間のみだろう。
何しろ「生活の安定」で「戦争被害者、傷痍軍人」を蔑ろにして来たのだから。
プロ市民、プロ被害者花盛りだが、これも経済発展のなせる技かもしれない。
民事でよく言われる「金のない人は訴訟を受けない」そりゃそうだ。
金の支払いがないのに、裁判をぶつ利がない。
しかしおかしな訴訟を起こす人もいる。訴訟賠償額一万円、少額訴訟の場合
大概は和解を勧める。訴えられているのは出版社である。
一万円という姑息な賠償額が示す思惑は、謝罪文の掲載でチョンだろう。
曰く「当事者に取材せず記事にしました、ここにお詫びいたします」で、朝日
同様、それを見る人もいないくらいの小さいものであろう。
訴えた人はそれで大満足なのだ。いやそんなものはどうでもいいのだ。
訴えた事実が必要で、それが賠償額一万円であってもだ。
要するにポーズをとらなければならない必要が、夏に迫っているから・・。
何とも自己都合で、自分の名誉だったら「刑事告発」しろよなのだ。
一事が万事これの繰り返し、その他の例では、東京都の教職員「君が代訴
訟」もあの地方裁判所の少し変な判事まで訴訟を待って提出って・・・。
ここで見えてくるのは、企業の思惑と良く似た、利潤の追求だ。
自分達にとっての利潤、それは自分達の主張が通ったことであり、それで犠
牲になる人や事柄には一切感知しない。
さて、これが思想なのか?、企業ももっともらしく理念を掲げるけど、それと全く
同じ態様である。
だからプロ市民、プロ被害者って語句が当然のように出てくる土壌を自ら作り
出しているのを、そろそろ自覚したのがいいのではないか・・・。
でなかったら、はっきり「日本は嫌いです、だから他国の応援のために記事
に、政治活動をしています」と、発言してもらいたいものだ。
障害者という言葉の中には「傷痍軍人」も、入って当然である。
最後まで読んでくれて「ありがとう」

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