「嫌韓」を広めているのは、皮肉なことに自称「知韓」なトンデモ論客達

「偏狭なナショナリズム」なる不可思議な言葉を言い放って、
日本人に「贖罪意識」を強調して見せたメディアの、このとこ
ろの痛ましいほどの「世迷い言」を読んでいると、擁護すべき
ものの「勘違い」が甚だしく、読まされる人を「嫌悪」へと、
どんどん押しやってしまっているのを、再認識させられる。

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まずは「こんな犠牲者」へのものの趣旨が一変すると、
「平和の少女像」となるご都合主義はいかほど?。

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アメレカ軍にひき殺された少女を弔ってのはずが・・・。
まるで目的が主義・主張と合致すれば、創作意図など何でも
構わないとでも言うように・・・。
まさに「偏狭すぎる思考法」にはついて行けない。
のだが、日本での「物知り顔の人」の中には、それらに疑義を
挟まずにの「一方的言いっ放し」のげんなりだもの。
信頼からはどんどん「彼方に追いやられる」のも頷けてしまう。

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千円札に気づかされたアジア人の葛藤
田中宏さんと考える(1)東京五輪に沸く1963~64年は戦後日本
の大転換点だった
市川速水 / 朝日新聞編集委員

「行動する学者」の道へ
いま、日本と韓国の間では、大戦中の元徴用工への賠償をめぐる
最高裁判決をきっかけに冷たいやりとりが続いている。
日本による輸出厳格化、報復措置として韓国が軍事情報包括保護
協定(GSOMIA)破棄を宣告、ぎりぎりの破棄凍結、協定続行。
特徴的なのは、この間、日本の首相や政権中枢から「ありえない
判断」「賢明な判断を求める」「無礼だ」と、上から目線で敵対
視する言動が繰り出されることだ。日本が韓国の三権分立を否定
したり、攻撃的で嘲るような言葉を投げたりしたことは、過去に
もなかったのではないか。こんな雰囲気を生んだのは何なのか。
日本が突然こうなったのだろうか。そうではないだろう。
書店に山積みされる嫌韓本、在日韓国・朝鮮人を貶めるヘイトス
ピーチは、裁判になり、条例で規制されるほどエスカレートして
しまった。ネットには「あいつは在日」などと真偽不明のレッテ
ルを貼る投稿があふれている。さらに、今は高校無償化や保育・
幼稚園無償化から朝鮮学校を外し、日本人拉致問題と結びつけて
いる。
もっとさかのぼれば、日本はさまざま法律の国籍条項で、かつて
植民地支配した朝鮮・台湾出身の「在日」の人びとを戦後、ほぼ
全面的に排除してきた。排除や差別が当たり前のように通り過ぎ
ていく日本は、どこかおかしいのではないか――。
そう考えた田中宏さん(82)は、「行動する学者」の道を歩んだ。
愛知県立大学、一橋大学、龍谷大学で、日本アジア関係史、日本
社会論、民際学などを講義する傍ら、定住外国人の地方参政権を
求める運動に身を投じ、今は朝鮮学校差別問題に取り組む。中国
人強制連行の賠償問題では、企業側と被害者の間に、画期的な
「和解」を実現させた一人でもある。訴訟になれば学者として意
見書を出し、市民集会でも発言してきた。戦後の在日・韓国人差
別事件の告発や改善の大半に関与している。
その半生を振り返ってもらいながら、日本人の「内なる差別意識」
の底流にあるものを探っていきたい。

[朝日新聞:論座 2019.12.15]
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019121100013.html





問題の本質は「表現の自由」ではない
安田浩一 / ジャーナリスト

部屋の隅で、おかっぱ頭の〝少女〟は怯えていた。膝の上でぎ
ゅっと握られたこぶしに、さらに警戒の力が加わった。
少なくとも私にはそう見えた。
スーツ姿の男性が少女に近づいた。どこか投げやりな歩き方とニ
ヤけた表情は、純粋に「鑑賞」を目的としていないことだけは明
らかだった。スタッフや来場者の一部に緊張が走る。
男性は少女を一瞥し、「ふんっ」と鼻で笑う。続けて軽く舌打ち
し、その場を離れた。相変わらずニヤけながら、しかし、そこに
は間違いなく侮蔑の色も同時に浮かんでいた。
結局、それだけのことだった。ただそれだけのために、男性は長
い行列に加わり、抽選に参加したのだろう。
「よかった」。安堵したスタッフの一人がそう漏らした。
またか、と少女は思っただろうか。あるいはこうした場面に慣れ
てしまったことを、さらに悲しく感じただろうか。
平和の少女像――元従軍慰安婦を題材としたこの作品は、侮蔑さ
れ、罵倒され、貶められながらも、それにじっと耐え続けること
で、日本社会の一部に確実に存在する無知も、醜さも、そして差
別と偏見をも浮き彫りにした。

●展示再開にも無念と苛立ち

「あいちトリエンナーレ2019」が閉幕し、拍手で来場者を見送る
津田大介芸術監督(右から2人目)や愛知県の大村秀章知事(右端)
=2019年10月14日夜、名古屋市東区の愛知芸術文化センター
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由
展・その後」(以下「不自由展」)が再開された直後、私は会場と
なった名古屋市の愛知芸術文化センターを訪ねた。2カ月間にわたっ
て閉鎖されていた「不自由展」展示スペースは、どこかピリピリし
た緊張感に包まれていた。
鑑賞は一度に30人ほどで回るツアー形式で、入場者は抽選で決めら
れる。会場入り口ではSNSへの投稿や妨害行為の禁止を告げられた
うえで、同意書へのサインを求められた。誰に対しても開かれた場
所であるべき芸術祭で、このような措置は不自然極まりない。
この日、会場に姿を見せた少女像の生みの親である彫刻家のキム・
ソギョンさん、キム・ウンソンさん夫妻も、「どんな素晴らしい作
品でも、こんな待遇は受けたことはないはずだ」と、複雑な胸中を
口にした。
もちろん、それは主催者の側だって同じだ。スタッフの一人は私に
こう告げた。
「こうするしかなかった。大事なのは〝やり遂げる〟こと。変則的
な形であったとしても、圧力に屈してしまったという結論を残した
くない」
無念をにじませたその表情からは、問題とすべきは主催する側では
なく、他にあるだろうという苛立ちのようなものも見て取れた。
その通りだ。問題を引き起こしたのは主催者でも少女像でもなく、
暴力や権力を背景に、恫喝を加えた側だ。
そもそも「不自由展」は、テロまがいの脅迫や激しい抗議によっ
て、開幕からわずか3日で一度は中止に追い込まれたという経緯が
ある。
トリエンナーレ実行委員会事務局によると、開幕からの1カ月間だ
けで、同事務局と愛知県庁が受けた抗議は1万379件。
抗議の9割は匿名で、そのうちの半数が少女像を問題としたもの
だった。
なかでも「電凸」と呼ばれる電話による抗議に関しては悪質なもの
が多く、「サリンをまく」「高性能な爆弾を仕掛けた」「愛知県職
員を射殺する」といった殺戮予告もあった。非通知で電話すれば絶
対にバレないのだと思い込んでいるからであろう。
また、脅迫じみたメールでの抗議も、やはり海外のサーバーを経由
させるなど、〝足のつきにくい仕掛け〟を講じていることも特徴だ。

朝日新聞:論座
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2019112600006.html

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過去最悪」とされる日韓関係。私たちの身の回りでも、変化は起き
ているのか。取材すると、「嫌韓」は家庭の中にまで入り込んで
いた。
「全部、韓国が悪いんだよ」「こいつら何もわかっちゃいないな」
静岡県内の30代の男性公務員は、テレビを見ながらつぶやく70代の
父親の言葉にうんざりさせられている。韓国に関するテレビニュー
スが流れるたび、父親が茶の間で「嫌韓」を露わにするのだ。
男性はこう嘆く。
父はもともと保守的な考えをもっていましたが、私や母はどちらか
というと逆。なので、父は私たちの前では控えているつもりのよう
ですが、口をついて出るんですよね」
父親の「嫌韓」は定年退職後、さまざまな市民活動に頻繁に顔をだ
すようになって顕著になった。そんな父親の言動を、同年代の母親
は「そういうこと言ったらダメだよ」とやんわりたしなめていた。
ところが最近は、母親にも異変が生じているという。
きっかけは、韓国大法院(最高裁)が日本企業に1人1億ウォン
(約910万円)の支払いを命じた昨年10月の元徴用工訴訟判決だ。
この訴訟をめぐる動きが盛んに報じられるようになると、母親も
「ちょっとこれはねえ。(韓国とは)話が通じないんじゃないの」
とこぼすようになった。
母親の変化が「ショックだった」と打ち明ける男性は、今の日本
社会のムードについてこんな見方を示す。
「とくにネットでは、韓国を低く見るようなコメントが目につき
憂慮しています。韓国を批判しておけば、とりあえずある程度の
支持を得られると考えている人が多い。そして、少しでもそれを
批判すれば、たちまち『反日』といったレッテルを貼られる傾向
にあります」
男性は、日韓の政治的な駆け引きを「勝ち」「負け」や優劣で論
じる風潮にも違和感を抱く。
「日本の国内では、かなりの人が日本のほうが優位だと考えてい
るようですが、国や民族の関係において、どちらが優秀かなんて
考えること自体、逆にレベルの低さを感じます」
身近な人が「嫌韓化」している、と指摘する意見はほかにも相次
いだ。
「夏休みの旅行で一緒になった方が、最近韓国が嫌いになってき
た、と言ったのでびっくり」(60代の女性公務員)、「職場など
で韓国人を揶揄するような言動を耳にする」(40代の男性会社員)、
「日本人の知人同士の雑談の中で、カジュアルな話題として『嫌
韓』見下す発言も含む)が飛び出すことがたびたびあり、閉口し
ます」(30代の男性自営業)。

12/1 09:00
https://dot.asahi.com/aera/2019112900075.html
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「偏狭なナショナリズム」を駆使すれば、こんな文章も出来上が
るのだが、そこにある上下しか思考出来ない残念さに先人の洞察
の鋭さのかけらもないのに、がっかりする。

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まして「歯を食いしばって、我慢をする」という美徳から地球の
果てにいってしまった「公共心」のなさにはほとほと呆れるばか
りで、「嫌悪感を広める無知蒙昧」の存在こそ・・・。



言うは易しいが、共有する意識もなく「以下のような戯れ言」
を垂れられても、実践する人など居るのだろうかと、懐疑心
が醸成されてしまう。

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未来につながる「無国籍」という生き方
http://www.labornetjp.org/image/2019/1128hon00
「無国籍」とは何かを深く考えさせられる本だ。

日本には、敗戦後間もなく、「日本国籍」をはく奪された在日コ
リアンとその二世、三世(いわゆる朝鮮籍の人たち)がいるが、
本書は、1990年代から日本にやって来た、アジアの少数民族の人
たちの発言を記録している。
彼らの多くは、出身国ですでに市民権や国籍を奪われていた。
著者は医師で、長年日本の移民コミュニティで無料医療相談を行
い、移民・難民問題の映像ドキュメンタリーも制作している山村
淳平さん(写真下)と、早稲田大学教授・無国籍ネットワーク代
表の陳天璽(ちん・てんじ)さん。
発言者の多くは、20年以上、日本に暮らしている。ビルマの少数
民族ロヒンギャ、スリランカのタミル族、トルコのクルド人、バ
ングラデシュのジュマ族など、わたし自身初めて知った民族もあ
りその多様性に驚いた。彼らは少数民族として自国の政府から迫
害を受け日本に来た。本来ならすぐ難民として認定されなければ
ならない人々だ。その認定がほとんどされていない。
2017年の日本の難民認定率は、0・3パーセント。2013年からゼロ
パーセント台が続いている。いわゆる先進国の中でも、日本の認
定率の低さは突出している。難民と認定されず、在留資格もない
人々は、就労は原則禁止、健康保険、生活保護も受けることがで
きない。
彼らは外国人収容所に収容され、難民申請を拒否され、収容と強
制帰国への不安を抱えながら何年もかかって在留資格を得ている。
いまは、中古品の貿易や、解体業などで懸命に働き、日本社会に
着実に根付いている。生活の便宜上日本国籍をとった人も、心は
自分の民族や故郷を離れることはない。民族の言語、文化を大切
にし、自分たちのコミュニティを作って相互扶助を実現している。
本書には、三人の移民二世の声も収録されている。親と一緒に日
本に来たが、まず最初に出会うのが言葉の壁、学校でのイジメ。
しかし専門学校に入り、資格をとり、たくましく生きている。
ただ、日本生まれでビルマ・カチン族の19歳ミヤさん(仮名)は、
「みたこともないカチン文化や言葉にとまどう」「カチンで暮ら
すのも、日本で暮らすのもどちらもむずかしい。息がつまる」と
率直に語る。居場所の見つからない二世の正直なことばだ。
本書のもう一人の著者陳さんは、1971年横浜中華街生まれ。
両親は台湾籍だった。1972年日中国交回復で日本は台湾と断交。
陳さん一家は中国籍になるか日本籍になるか、それとも移住する
かの選択を迫られた。どれにも抵抗を感じた一家は無国籍を選んだ。
(ただし在留資格はある)。
陳さんは「二世になると、『中国人』『日本人』という一つのアイ
デンティティでは生きていけない」「わたしはわたし、国という帽
子をかぶせないでほしい」と言う。しかし民族教育の大切さは強調
する。言葉が不自由だとアイデンティティの確立ができず、自信を
持って生きることができないからだ。彼女は日本社会に、二世や三
世が母語や文化を学ぶ機会の保障を求めている。
国籍があってもなくてもいい。何より大事なの人の尊厳。国籍の有
無よりその人がその人らしく生きられることが大切」と陳さんは訴
える。
著者の山村さんの考え方は刺激的だった。「20世紀の植民地独立は、
多数民族の少数民族への支配を同時に生み出し、多数の難民を生み
出してきた。近代の一民族一国家という国民国家の枠組みは、これ
だけ世界中で人間が移動している21世紀にはそぐわない。時代遅れ
の国民統合ではなく、多民族・多文化社会の中でこそ新しい創造的
な社会は可能だ」。
国はなくても人は生きる。ナショナリズムと排外主義に染まったい
まの日本に生きる者として、国家を超える「無国籍」という生き方
に、夢と未来を垣間見た。

〔編集部注〕山村淳平氏の映像作品は以下でご覧になれます。
「外国人労働者弁護団」YouTubeサイト
https://www.youtube.com/channel/UCj8UptpA6rIg6-4-cEDg_bA
http://www.labornetjp.org/news/2019/1128hon
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「我に仇なす者のみ、排除」こんな価値観を偏狭と呼ぶとすれ
ば、それこそ隷属される人製造装置と化している論理となる。

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こういった「三原則」も、それこそが経験則から導かれた
思考法であり、嫌悪から以下のような「応援風景」の差異は、
さて「排外」を実行するのが誰かを導いてくれている。

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2019年12月18日、韓国・釜山でサッカーの東アジアE-1選手権
最終節の日韓戦が行われ、韓国が1-0で勝利し大会3連覇を達成
した。日本にとっては13年以来となる優勝を逃す悔しい結果と
なったが、日本のサポーターが掲げたある横断幕に韓国のメデ
ィアやネットユーザーから称賛の声が上がっている。
この日、日本サポーターの応援席にはハングルで「できるよ、
ユ・サンチョル兄貴!!」と書かれた横断幕が掲げられていた。
ユ・サンチョル氏はかつて横浜F・マリノス、柏レイソルでプレ
ーし、活躍した選手。10月に先月膵臓(すいぞう)がんで闘病
中であることを公表していた。
韓国メディアのスポータルコリアはこれを「対馬海峡を渡って
来た“できるよ、ユ・サンチョル兄貴!”日本の義理」との見出
しで報じ、「日本のサポーターはライバル戦に関係なく、同じ
サッカー人、ファンとしてユ氏の回復を願った」と称賛している。
他のメディアも「し烈な日韓戦の中で日韓が1つになった」
「ユ氏に向けた心、釜山で日韓は1つだった」「ユ氏への横断幕
は宿命の日韓戦という意外な場所でも掲げられた。緊迫した試合
会場で束の間の温かい人間味が感じられた」「ライバル戦、さら
に日韓関係が急速に悪化している中で、国籍を超えた温かい人間
味が垣間見えたシーンだった」などと報じている。
た、朝鮮日報は、「日韓サポーターの正反対のプラカードに注目
が集まった」として「日本のサポーターは日韓関係悪化により反
韓感情が拡散している中でもユ氏の回復を願うメッセージを掲げ
たが、韓国のサポーターは『NO ジャパン、(日本に)行きませ
ん、(日本製品を)買いません』と書かれたプラカードを掲げて
いた」と伝えている。
報道を見た韓国のネットユーザーからも「ありがたい」「これこ
そがスポーツの力」「心から日本のサポーターにお礼を言いたい」
など称賛や感謝の声が上がっている。
また、「スポーツと政治は別。でも韓国で同じことをしたら親日
派と批判されるのだろう」と嘆く声や、「試合会場で『NO ジャ
パン』を掲げた人は反省しよう。日本はあんなものを持ってきて
くれたのに」「相手国の選手を気遣う日本と挑発する韓国。国民
意識の差だ」「試合には勝ったがファン文化は負けた」との声も
上がっている。

Record china
2019年12月19日(木) 13時40分
https://www.recordchina.co.jp/b768150-s0-c50-d0058.html
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あの「ラクビーのワールド・カップ」でも、日本チームの
様を見れば、「理想的人種のるつぼ」の日本チームを、日本人は
熱狂的に応援していた・・・。







今に始まっていたのでない「日本人の行動規範」は、さて
「偏狭なナショナリズム」であったか・・・。
その昔のヒーローは・・・。



それこそ「人種やら国籍」でなく、「仇なす人を蹴散らし」
誰だか分からないけど、ヒーロー・・・。
こんなものを熱狂してみていた子供が、偏狭な思考を駆使
するとは思いたくないものである。

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