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zoom RSS 時代の変化、民意に素直になれない沖縄メディアの変節

<<   作成日時 : 2018/04/03 18:07   >>

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あたかも「大問題」であるかの論調を駆使して、印象操作を繰り出し「政権批判」
を敢行したが、不信感をもたれたのは「マスコミ」の提供情報を鵜呑みにして、政権
追求するだけの「無能集団」と見なされてしまった野党の議員という「国民の反発」
を想定できない「政権担当能力」皆無の人々の広報・・・。

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調査能力もなく、他人を頼りの「疑惑」提示は、どこぞの国の「メディア」と同等の能力しか
ないを国民に周知してくれたのは、その方面では殊勲である。

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財務省の決裁文書の改ざん問題をめぐる佐川前国税庁長官の証人喚問について、立憲民主党
の枝野代表は、偽証が疑われる証言などがあったとして、野党各党で連携して佐川氏の証言を
詳細に分析していることを明らかにしました。
この中で枝野代表は、財務省の決裁文書の改ざん問題をめぐる佐川前国税庁長官の証人喚問
について、 「議院証言法で許されている証言拒絶の範囲を大幅に超え、議院証言法の違反であ
ることは明々白々だ」と述べました。
そのうえで、枝野氏は「『偽証が明らかではないか』という部分などがあり、現在、野党各党で連
携しながら、 詳細な分析と整理をしている」と述べ、偽証が疑われる証言などがあったとして、
野党各党で連携し佐川氏の証言を詳細に分析していることを明らかにしました。

NHK NEWS WEB 3月30日 14時16分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180330/k10011385481000.html
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今後も「マスコミ」によればの国会質問などを行えば、とたんに批判集中してしまう「おかしな追求」
しか出来ず、議員のお気楽働きぶりが、有権者に映っては「選挙で選ばれる立場」としては、
マイナスにしか働かない。

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それを一年も行っていた常軌を逸した「騒動」を、国民はとっくの昔に「うんざり」していたのを、
今になって取り繕っても、それこそ「後の祭り」であろう。

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学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決裁文書改竄をめぐり、衆参両院で27日
に行われた佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官の証人喚問では特段、目新しい話は出なかった。
ただ、佐川氏が理財局長当時に「交渉記録は廃棄した」などと、改竄前文書とは食い違う「丁寧さを
欠いた」(佐川氏)答弁をしていた背景は浮かび上がった。
佐川氏は事実と異なる答弁をした理由について「お叱りを受けると思うが」「言い訳になるが」と断り
つつも、こう説明した。
「当時、局内は私も含めて連日連夜、朝までという日々で、本当に休むこともできないような、月曜日
から金曜日まで毎日ご質問を受ける中で、そうした(確認の)余裕はなかった。全く余裕がなかった
のが実態で、相当、局内も騒然としていた」(自民党の丸川珠代参院議員への答弁)
「局内の騒然とした状況の中で、やはりそれ(確認)を怠ったということだろう」(公明党の横山信一参
院議員への答弁)
「レクチャーを受ける時間もほとんどなく、原課で作った答弁資料を入れてもらい、順次読み込んでい
るという状況だった」(日本維新の会の浅田均参院議員への答弁)
また、答弁内容については省内や首相官邸と十分協議していたはずではないかとの問いには、次の
ように答えた。
「昨年、例えば予算委員会7時間コースだと、ほとんど全員の質問者が森友の質問をされるケースも
あった。本当に何十問なのか、100問を超えるのか分からないが、(答弁準備が)事実上間に合わな
いケースもあった。それぞれ協議をしているという余裕もなかった」(民進党の小川敏夫参院議員へ
の答弁)
「何月何日に現場で職員と業者と会ったとか、極めて実務的な話で、そういうものを首相官邸と調整
することは通常は考えられない」(共産党の小池晃参院議員への答弁)
そして、立憲民主党の逢坂誠二衆院議員が「局内はなぜ混乱していたか」と尋ねると、こう強調した。
「国有財産の部局は個別案件の話も多いし、そんなに毎年国会でたくさん質問をいただく部局では
ない。そういう中で毎日月曜から金曜まで毎週何十問も通告され、資料の利用もあり、外部からも
情報開示請求をされ、いろいろなチェックをしないといけない。大変だったことは事実だ。
これまでにない状況だった」
何のことはない。野党議員らによる質問攻めや資料請求などへの対応に忙殺されたため理財局内
に混乱が生じ、丁寧さを欠く答弁になった−というのである。
もちろん、これは佐川氏自身も認めている通り「言い訳」の類いであり、だからといっていいかげんな
国会答弁が許されるわけではない。佐川氏の答弁との矛盾が、文書改竄につながったとしたら責任
は重い。
とはいえ、当時の理財局がそうした状況に置かれていたのは事実だろう。現在の太田充理財局長も
28日の参院予算委員会で、次のように語っていた。
「答弁はとにかく朝までかかってということだし、週末もほとんど全部出勤している。今国会が始まっ
てから、休んだのは2月の3連休のうち1日だけだ」
もし本当に、真相解明を求める野党の追及も手伝ってのこんな過酷な状況が佐川氏の誤答弁を生
み、文書改竄という最悪の結果を導いていたとしたら…。国会は、全く笑えぬ喜劇を上演中というこ
とになる。(論説委員兼政治部編集委員)

http://www.sankei.com/politics/news/180330/plt1803300003-n1.html

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麻生太郎副総理兼財務相、「証人喚問は人民裁判じゃない」 佐川氏答弁拒否批判に反論

麻生太郎副総理兼財務相は28日夜、佐川宣寿前国税庁長官が27日の証人喚問で証言の
一部を拒否する発言を繰り返したことについて、国会内で記者団に「拒否する権限がある。
自分の立場を考えながら言うのが当然だ。刑事訴追に関係ない分ははっきり言っていた」と述べた。
同時に、証言拒否を批判する声があることに対し「人民裁判をやっているんじゃない。
マスコミによるつるし上げでもない」と反論した。

http://www.sankei.com/politics/news/180328/plt1803280035-n1.html
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メディアとのタックル抗議も、足下を見れば「互いの思惑」の合致で、国民生活にプラス云々抜き
だからこその「支持率拡大、メディアの信頼度」が伸びるはずもない。

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そんな中で「オール沖縄」の怪しい言説も、メディアの今回の「疑惑の押し売り」と相似ていて、
反対派の窮地を、これまた「ひいきの引き倒し」をしているのをみると、旧態依然とした「メディア体質」
がそこにあるようである。

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沖縄論壇時評
「反基地」現地でも逆風の試練に=ジャーナリスト・渡辺豪

民意圧殺の当事者は誰か
沖縄に関するフェイクやヘイトを流すメディアが、主な標的にしてきたのは「基地反対派」だ。
気になっていたのは、その浸透力である。「基地反対派」は沖縄社会でも逆風にさらされるよ
うになった。
2月の名護市長選で、辺野古新基地建設に反対する現職市長が敗れた。沖縄国際大の佐藤
学教授の嘆きは深い。
「沖縄県民は、本来、誰も米軍基地など望まない、ということが暗黙の了解になってきたが、
それも若年層ではもはや違うのではないか」
『琉球新報』(2月27日付)での論評は、この指摘にとどまらない。仮定の留保を付けつつ、さら
にこう踏み込む。
「反対運動が地域を分断すると敵視し、積極的に米軍基地に寄り添う人々が多数を占めるように
なっているのではないか。だとすると、沖縄社会の本質的転落の顕在化である」
沖縄大の高良沙哉准教授も主観的な立ち位置から、新基地建設に反対する知事を誕生させた
民意の寄る辺なさをこう表現する。
「知事選の中心的争点になるであろう辺野古新基地建設について、市民の現場の力で止めるし
か策がなくなったとき、 代表者にどのような意味を見いだすことができるのだろう。
あの2014年11月の知事選圧勝の高揚感は、筆者の中では色あせている」(『沖縄タイムス』
17年12月31日付)
批判の矛先は、新基地建設を強行する国家権力の横暴に向かうのではなく、それに歯止めを
かけられない地元の政治リーダーの非力さに向けられる。このいら立ちや失望感は、どうせ国
に逆らっても無駄なのに、反基地にこだわる「基地反対派」は地域の分断や閉塞感を招く張本
人だ、という逆説的な感情と どこかで接合する要素をはらんでいないか。

(中略)

隣国への誹謗中傷がネットにあふれ、戦争に備えることが「現実的」とされつつあるこの国で、
戦争への危機感を唱えるのはもはやリアリティーを欠くのだろうか。
逆説的な感情を育む構造を解き明かす必要がある。

https://mainichi.jp/articles/20180401/ddm/014/070/015000c

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「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと
4/2(月) 11:19配信 琉球新報

2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。
公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターやフェイスブックで拡散
され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。
話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルの
コラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大
きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載
している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。
なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。どのような心境の変化、葛藤が
あったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。

ネットで考えを固めていた高校時代

―なぜコラムに「ネット右翼だった」ということを書こうと思ったのですか。

題材については教育担当(当時)として教科書問題のことなど幾つか候補がありました。その中で自
分にしか書けないことは何だろうと考えました。そういえば、琉球新報社内で「自分はネット右翼だった」
と公言しているのは私ぐらいだなと思ったんです。であれば、なぜ自分が「ネット右翼」だったのか、
そして、考えが変わったのはどうしてなのか、ということを伝えたいと考えました。
―「記者ですが」は冒頭、「学生時代、私は『ネット右翼』だった」と書き出しています。なぜ、自分を
「ネット右翼」と定義したんですか。
「ネット右翼」という言葉も定義はきちっと定まっているものではないと思います。ただ私が思う「ネット
右翼」の定義としては、現場に行かないで、例えばインターネット上の情報で自分の考えを固め、「右」
的な考えをネットで発信するというものではないかと考えました。そういう意味で、自分は「ネット右翼」
だったと思っています。例えば、ネット上などでよく言われているように「中国や北朝鮮を抑えるため、
沖縄には基地が必要だ」という意見などです。日本政府はそう説明しますが、私も過去、それを無批
判に受け入れていました。

ファクトチェックされていない情報うのみに
―影響されたネット上の情報というのはどのような内容ですか。

ファクトチェックを受けていない根拠のない情報や、個人の考えがそのまま載ってしまっているブログ
などです。ある意味、事実と反する情報でもネットではそれなりに影響力を持つ場合があります。
ネットだけでなく、本を読む際にも自分に都合のいい情報だけを集めていたように思います。
元防衛大学校の方が書いた本や防衛省が発行している防衛白書なども読んで、自分の考えをまとめ
ていました。ネットだけで情報を得ていたわけではありませんが、自分の考えを補強するために本など
も読んで「私の意見は論文に基づいた考え方だ」と誇示していた、ということに近いかもしれません。

「ミリタリー好き」が入り口に
―自分が「ネット右翼」だと感じたのはいつごろからですか。

小学生のころはイラク戦争に反対していた覚えがあります。明確なきっかけはありません。高校時代
までは大分県で暮らしましたが、今考えると高校の後半ぐらいからいわゆる「ネット右翼」のようなこと
をしていたと思います。自衛隊の航空ショーに出向くなど戦闘機や戦車などミリタリー(軍事)に関する
ものに興味がありました。いわば「ミリタリーおたく」です。「ミリタリー好き」から安保への興味につなが
りました。「ネット右翼」になったのも、自分の場合はミリタリー好きが関係していたのかと思います。

―「沖縄には基地は必要だ」という考え方を持っていたと言っていましたが、「沖縄に基地は必要ない」
という意見があることは知っていましたか。

それはもちろん把握していました。私が琉球大学に入学するために沖縄に来たのは2010年4月で、
現在8年目になります。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会(2010年4月25日)の
前後だったと思います。その当時は民主党政権で、いったん白紙にされた米軍普天間飛行場の移設
先について、数日ごとに新たな候補地が示されていくような時期でした。
せっかく自民党政権が苦労して名護市辺野古に移設先を決めたのに、なぜひっくり返すようなことをす
るんだろうと感じていました。

「沖縄には米軍基地が必要だ」を確かめるため
―進学を機に沖縄へ。琉球大学に進学した理由は何ですか。

「沖縄には米軍基地が必要だ」と思っていたので、それを自分の目で確認したいという気持ちがありま
した。政治や国際関係を専攻し、最初は「ネット右翼」のスタンスを維持していました。自分なりに正し
いと思っていた国家論を振りかざしていましたね。
友人からは「地に足が付いていない」とよく言われていました。「おまえは沖縄に根ざしていない。
沖縄にいる意味はないのではないか」というような内容のことを言われた記憶もあります。大学時代の
友達に会うと今もからかわれますね。「あのおまえが琉球新報に?」と言われることも少なくありません。

琉球新報の論調に怒りさえあった
―琉球新報に入社しましたがメディア志望だったんですか。

なんとなくマスコミに入りたいと思っていました。イラク戦争の時、米軍と共に行動しながら取材している
記者のテレビ番組を見た時に、マスコミに興味を持つようになりました。いろいろな人に話を聞くことは
楽しいだろうなと思い、新聞記者になりたいと考えるようになりましたが、直接のきっかけは思い出せ
ません。ただ当時、琉球新報への入社は考えてもいませんでした。

―当時、琉球新報についてはどのように思っていましたか。
ちょうど大学時代に東日本大震災があり、米軍の「トモダチ作戦」に共感を覚えていました。
琉球新報は「トモダチ作戦」について米軍が自分たちの宣伝活動に使っているのではないか、と思わ
れるような論調で報道していると受け止めていました。「現場の人たちは頑張っているのに何を考え
ているんだ」と怒り、そういう思いを自分のツイッターに書き込んだ記憶があります。

「論破してやろう」と辺野古・高江へ

―「記者ですが」に、「考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や東村高江の現場を目の当たり
にしてからだ」とあります。大学時代には辺野古や高江の現場をよく訪ねたんですか。
はい。大学3年だった2012年の夏、ヘリパッド(ヘリコプター発着場)造成に対する反対運動が行われ
ている東村高江の現場に足を運びました。座り込んで反対運動をしている人たちが何を考えているん
だろう、ということに興味がありました。ただ、あわよくば、座り込みをしている人たちの考えを論破して
やろうという思いもありました。
座り込んでいる人に声をかけ、活動をしている理由について尋ねると「生活を守るためにヘリパッドを
造らせない」ということでした。米軍が沖縄に駐留していることについて、座り込んでいる人が「米軍の
力に頼るのは疑問がある」と言ってきました、それに対して私は「中国の公船が尖閣諸島の近くに入
ってきているし、北朝鮮もミサイルを打ち上げている。米軍の力があるからこの程度で済んでいるの
ではないか」と反論しました。そうしたら、後方で話を聞いていた高江に住む男性から「おまえは違う」
とぴしゃりと言われました。
自分が考えていることを主張して、「間違っている」と面と向かって指摘されたことは友人以外では初
めてでした。その後のやりとりは覚えていませんが、現場に向き合い続けている人の言葉だったから
こそ、心に突き刺さったのだと思います。もんもんとしたものを抱えたまま現場を離れました。

現場を知り、見えてきたこと
―それが変わるきっかけになったということですか。

それをきっかけに時々、辺野古の現場にも行くようになりました。新基地建設に反対する集会にも足
を運びました。男性から指摘された後は、もんもんとした思いを持ちながら授業などで沖縄の歴史を
学ぶことになりました。住民が名護市辺野古に米軍キャンプ・シュワブを誘致したわけではないとい
うことにも気づくことができました。
ただ、大学3、4年だったこの時期は、人に指摘されたからといって自分のスタンスを変えるのは嫌
だなとも思っていました。その頃、ちょうど、自民党の安倍政権が誕生し、特定秘密保護法や集団
的自衛権などの政策を次々と進めていきました。それらは日本の国の形を、比喩ではなく、「戦争
ができる国」にしてしまうのだろうなと思うようになりました。そして、そのような流れの中にある「沖
縄」について考えるようになりました。
それと同時に安倍政権は沖縄県民が強固に反対している米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設
について、県民の声を無視する形で強引に推し進めようとしていました。こんなに沖縄の人たちがあ
らがい続けているのにそれが通らない、県民が反対しても強行するというのはおかしくないか、と思
い始めました。この頃になると、自分のスタンスを維持し続けるのが論理的なことだけでなく、精神的
にも苦しくなってきました。それなら、考えを変えた方が自分に正直ではないかと思いました。
そんなとき、2014年8月25日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民集会(止めよう新
基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動)に足を運びました。琉球大学大学院人
文社会科学研究科1年のころでした。その際、琉球新報の記者に取材され、記事として掲載もされ
ました(2014年8月25日付21面)。振り返ると、いわゆる「ネット右翼」というスタンスから完全に
離れたのは大学院生時代だったと思います。

「反対」の根底にある沖縄戦
―学生時代に沖縄戦のことを学んでいたんですか?

大学では安全保障などを研究していたので、沖縄戦は教養の講義で学ぶ程度でした。ちょうど高校
1年生のころ、文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)
の日本軍強制の記述削除・修正された問題で、教科書検定意見の撤回を求める県民大会がありました。
当時は大分県の高校生だったので、あまり記憶にはありません。その後の文科省と県内の対立や
やりとりにも特段関心はありませんでした。ですが、大会で高校生の代表2人が「この記述をなくそ
うとしている人たちは、沖縄戦を体験したおじい、おばあがうそをついていると言いたいのだろうか」
と言っていたことだけはテレビで見て、鮮明に覚えています。同世代の訴えだったからこそ、沖縄
に特段関心のなかった当時の私にも、響いたのかもしれません
沖縄戦のことをきちんと知るようになったのは入社してからです。入社後に教科書検定があり、文化
部の教育担当になった私が沖縄戦に関する記述について、記事を書くことになりました。当時の教
育担当キャップに原稿を見せたら、「君は安保のことは詳しいかもしれないが、沖縄戦のことは何も
分かっていないな」と言われました。がつんときました。
入社二年目には、ちょうど教科書検定の県民大会から10年ということで、「集団自決」(強制集団死)
のおきた渡嘉敷島に出向いたり、東京で教科書執筆者や編集者を取材したりして、当時を振り返る
記事を書きました。当時の新聞記事や資料を読み込んでから取材をしましたが、その取材の原動力
となったのも、当時の教育キャップの言葉だったと思います。
辺野古の現場などに足を運ぶと、座り込んでいる人が沖縄戦について話してくれることがあります。
沖縄戦の記憶は、体験した人の記憶だけではなく、ある種世代を超えて共有されているのだろうと思
います。それが脈々と残っているということが、私を変えた一因にもつながっているような気がします。

現場でデマだと実感
―「記者ですが」には県民大会に参加した際、「ネット上のデマが現実離れしていると感じた」と書いて
います。

「反対運動をしているのはお金をもらった人々」というデマです。現場に足を運ぶと、現場を見ていな
い人が言っているんだなということが分かりました。現場には家族連れも普通の学生も、いろいろな
立場や世代の人がいますから。
辺野古のゲート前で一日取材をして記事を出すと、どうしても内容は抗議行動をしている市民らが警
察に排除されるというようなことを伝える内容になりがちです。ですが実は現場はずっと緊迫している
訳ではありません。大学の講義で「座り込みの時間の多くは暇だ」と言われたことを思い出しました。
楽しげに歌を歌ったり、踊りを踊ったりして楽しげな雰囲気に包まれることもあります。

中国の人に会ったことない
―お金をもらっているから反対運動をしている、というネット上の言説に対しては間違いだと思いますか。

はい。むしろ現場に来るためにガソリン代やバス代などの負担は大きいと思います。ネットではよく中国
などの勢力がお金を出して運動を扇動し、日米安全保障体制を崩そうとしている、とか、現場には中国
人や韓国人がいっぱいだ、という記述をよく目にします。実は私もそのように思っていた時期もありました。
でも、私自身は辺野古や高江の現場に足を運んで中国の人に会ったことは一度もありません。
もし、いたとしても一市民として、この状況が問題だと思って参加しているんだと思います。
「ニュース女子」(東京MXの番組)で高江の現場について「中国人はいるわ、韓国人はいるわ」と伝えて
いました。番組を見て「本当に現場に行ったことがあるのか」と怒りを感じました。ただ、昔だったら信じて
しまっていたのではないか、もしかしたら喜んでその主張に飛びついていたのではないか、とも思います。
両論併記についても昔は双方の意見をしっかり書くべきだと思っていました。でも今は、圧倒的に力の差
がある中で両者の中間に立つということが本当に公平なのか、ということだと考えるようになりました。

批判は真摯に受け止める
―今回の「記者ですが」はかなり反響がありますね。どのように感じましたか。

「記者ですが」について意見が書いてあるツイッターなどSNSを数多く見ました。「こいつは何も反省し
ていない」「自分は変わることができて良かったね」などという批判もたくさんありました。「ネット右翼で
多くの人を傷つけていたことについての反省はないのか」という内容の指摘もありました。
確かに私は「ネット右翼」だった当時、特定の個人を「極左だ」とかレッテルを貼って周りの人に話をして
いたことがありました。人を殴ったり、お金を盗ったりした訳ではないので、コラムが紙面に掲載されて
、そうした指摘があるまで、私に罪の意識は正直ありませんでした。人を傷つけたという意識もありま
せんでした。だからこそ、「反省はないのか」などの批判は真摯(しんし)に受け止め、胸に刻みつけて
おかなければいけないと思っています。
ただ今回、批判も予測しながらも「ネット右翼でした」というタイトルでコラムを書いたのは、こんな私だか
らこそ、伝えられることがあるのではないかと思ったからです。

―「ネット右翼」と呼ばれる人たちからの反応もあったとか。

「『ネット右翼』だったと言っているのは嘘だろう」というような批判もありました。それに対しては「はい。
ネット右翼でした」と答えます。「シールズの元メンバーだ」というような指摘もあります。私は大学院生
時代、「ゆんたくるー」(若い世代に基地問題の現状を知ってもらおうと活動している県内の大学生ら
でつくるグループ)の集まりに参加したことはありますが、メンバーではなかったし、シールズのメンバ
ーになったこともありません。ただ、もしシールズの元メンバーだったとしても特に問題はないと思います。
「実名を書いて言うことは勇気のいることだと思う」という内容の反応もあり、救われた思いもしました
。いろいろな反応の中で、「『対話は意味がないものではない』と気付かせてくれたのはありがたい」と
いう内容のものもありました。
人の思想を「左」「右」にレッテルを貼って分けることには違和感を覚えています。自分と違うスタンスに
いる人に対しても意見を言ったり、意見を聞いたりすることは意味のあることだということを感じてくれた
人もいたようです。

互いのレッテル≠乗り越えたい
―「記者ですが」掲載後の反響などを踏まえ、今どう感じていますか。

批判はあると思いますが、書いたことを後悔はしていませんし、別の題材で書けば良かったとも思って
いません。4月から北部報道部に配属されますが、北部に行くに当たっての決意表明でもありました。
―「記者ですが」では、「かつて私のような人たちに現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている」
と結んでいます。
どんな立場や考えの人であっても、事実に基づいた力ある記事なら、人の心にちゃんと届くと思います。
記事をきっかけに、例えば「一度ぐらいは辺野古の現場に足を運んでみようか」とか「現場に行った人に
話を聞いてみようか」など、少しでも何かしらの行動につながればいいと思っています。
現場≠ノ行くことなど考えてもいなかった人や、「ちょっと怖そう」と思って敬遠している人も多いかも
。残念ながら、「琉球新報は左だ」などというレッテルが貼られているのも事実です。そのレッテルに邪
魔されて、書いたことが真っすぐに届いていないと感じて苦しくなることもあります。
そんなレッテルは、私たちから打ち破る必要もあるかもしれません。そして、もしかしたら異なる立場か
ら打ち破ってくれる人もいるかもしれません。
今さらですが「ネット右翼」という表現も、一つのレッテル貼りなのでしょう。そんな言葉こそが、対話の
機会を遠ざけている要因の一つなのかもしれません。私が『ネット右翼だった』と自認すること自体も、
過去の私にレッテルを貼る行為なのかもしれません。いつの間にかつくりあげてしまったレッテルの
亡霊≠ノ邪魔されて、対話ができないような事態を飛び越えられるような記事を書いていくことができ
れば、と考えています。
そのためには私自身も、レッテルの亡霊から解き放たれる必要があるのだと考えます。今回のコラム
がいろいろな論議を呼んだことも含めて、私自身がレッテルの亡霊から離れる一歩になったと考えて
います。


〜 プロフィル 〜

塚崎 昇平(つかざき・しょうへい) 琉球新報社北部報道部記者。1991年、大分県生まれ。大分県内
の高校から沖縄県の琉球大学に進学。2016年に琉球大学の大学院を修了し同年琉球新報社に
入社。2018年3月まで文化部で教育を担当。同年4月1日から米軍普天間飛行場の移設問題など
を抱える名護市を管轄する北部支社に配属となった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180402-00000003-ryu-oki
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長い文章をしたためても、何のことはない「ネット右翼」とかのレッテル張りに勤しむのは、既得権益
を死守する旧態依然としたメディアの有様なのだから、流石に人材枯渇のメディアの窮状を示して
いるようだ。
時代の変化でなく、自分達の意思のごり押しでは、賛同は得られないのは、以前の「出来事」から
も、そしてその時は「民衆のうねりに、調子を合わせたメディア」の存在であると、それらを知る人
にとっては「ため息」ものだろう。






熱狂した時代は遠く過ぎたが、時代の変化はゆっくりで、「ネット右翼」など、その存在も知らない
人の方が多い。
そこにつけ込む「おかしな人々の流入」に、戸惑っているのが現状では・・・。

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騒動を起こすのは容易いが、それを持続する、あるいは転換させた後の「イメージ」想定されていない
運動というものは、危うい・・・。
煽動者の「無責任」が後に問題となるでは、そんな危うい運動に賛同するのは・・・。
何より、何かをなすのに「将来的展望」がね国益に適するかが論議されないなんて、バックボーンの
ない無責任でしかない。
ただでない「守る」状態は、一部の利益でなく、大多数の利益を計算したもの。










少年志願兵の手記 「十七歳の硫黄島」
http://erath0515.at.webry.info/200704/article_3.html

これの著者「秋草鶴次」さんが、先頃なくなられた。
ご冥福を祈りつつ、変化していく国の行く末に、メディアの監視は国民の義務になって来そう。
寡黙に過ごす「贖罪意識」の者達も、少なくなっていき、大手をふって「叫ぶ」のが、先の見えない煽動者
では、大多数の国民は、絶望しかなくなる。


煽動者
文藝春秋
ジェフリー ディーヴァー

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