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zoom RSS 「脅威は実感出来ない」が、「守る」は無視出来る平和主義

<<   作成日時 : 2016/10/30 22:57   >>

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たった一言を「差別」繋げて、威勢のよい「ヘリパット建設反対派」だが、その言動の
酷さも加わって、「有事の時の守る」を担うのは、さて・・・。

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こんな大会を開く「反対派」の人々だが、いざ「有事」となった時、これらの人が「生命財産を守る」
なんてあるはずもなく、また自然災害の時、これらの人が装備もなく「救援」出来るかとなれば、
思想で「自然災害にも、有事にも対処出来ない」のはわかり切ったこと。
何より「身の危険」を感じ取れば、サッサ逃げるが勝ちで、「くもを散らして」になるのは明白。
それと違って「地元民」は逃げるのに逃げられないとなれば、「備えあればね憂いなし」となりそう
なものだが、一応その職業が尊敬に値する「生命の救助」にある者が・・・。

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「中国の脅威など難しくて分からない」 「災害時にはまず自分が優先」 石垣市で陸自配備
めぐり公開討論会 反対派から飛び出す無責任発言

尖閣諸島を市域とする沖縄県石垣市で28日夜、石垣島への陸上自衛隊の配備をめぐり、全国初
の自治体主催の公開討論会が開かれた。
反対派登壇者からは安全保障を顧みない無責任ともいえる発言が飛び出した。
市外からの支援もある反対派は抵抗を強め配備問題は大詰めとなっている。
一方、現職市長が部隊配備受け入れを表明した宮古島市では来年の市長選をめぐり曲折も予想
される。南西防衛強化は正念場を迎えている。

■拍手や怒号飛び交う

「中国の回し者が!」 「島を戦場にするな!」
石垣市の公開討論会は、聴衆から拍手や怒号が飛び交う、白熱した集まりとなった。
沖縄本島より西方の島嶼(とうしょ)部は陸自部隊がいない防衛上の“空白地帯”だったが、
陸自は今年3月、日本最西端の与那国島に、周辺海空域の艦艇や航空機を警戒する
沿岸監視隊を配備した。
続いて、有事で初動対処にあたる警備部隊や地対空・地対艦ミサイル部隊を、石垣、宮古両島に
配備したい方針で、地元との調整が進められている。
討論会には推進派から市議や佐藤正久参院議員ら、反対派から医師で反対派団体共同代表の
上原秀政氏や伊波洋一参院議員ら計6氏が登壇した。
尖閣周辺で挑発を強める中国への認識をめぐり、反対派から「耳を疑う発言」(保守系市議)があった。

「中国(の脅威)がどうのこうのと(言われても)難しくて分からない」
佐藤氏から中国の海洋進出への認識をただされた上原氏はこう答えた。
佐藤氏は「無責任だ」と批判した。
もう1つの論点である自衛隊の災害対応についても、上原氏は医師としての経験に触れつつ
「まず自分と家族の命。 (医療で貢献するには)数日かかる。
(だから自衛隊配備は)意味がない」と語った。
東日本大震災では多くの自衛官が家族の安否確認をできないまま救出・救援にあたった。
佐藤氏は「家族よりも被災者を優先するのが自衛隊だ」と反論した。
中山義隆市長は討論結果を参考に配備受け入れを表明するか検討するが、反対派も根強く、
難しい判断を迫られている。

■本土支援者も石垣に

石垣島から東約80キロに位置する宮古島では来年1月に市長選がある。保守系が分裂し、
革新系候補者と三つどもえになる公算で、保守系が敗れれば陸自配備に暗雲が垂れ込める。
これに対し、すでに沿岸監視隊が配備された与那国町では、住民投票にまで持ち込んだ反対運動は
見る影もない。
配備反対派として25年の町長選に出馬し落選した崎原正吉氏は「もう配備されたから反対運動は
何もしていない」と話す。
崎原氏は配備前の反対運動について「東京や大阪から教職員や鉄道系の組合員が(支援者として)
応援に来た。横断幕とのぼり旗も作ってきてくれた」と振り返る。
そうした支援者は普天間飛行場の名護市辺野古移設や北部訓練場(東村など)のヘリパッド移設の
反対運動に加え、石垣市の反対運動にも転戦していると明かした。

産経新聞 2016.10.29 22:08
http://www.sankei.com/politics/news/161029/plt1610290022-n1.html
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上原氏は医師としての経験に触れつつ「まず自分と家族の命。 (医療で貢献するには)数日かかる。
(だから自衛隊配備は)意味がない」と語った。
東日本大震災では多くの自衛官が家族の安否確認をできないまま救出・救援にあたった。
佐藤氏は「家族よりも被災者を優先するのが自衛隊だ」と反論した。

反対派の医師の「まさかの時」の対処法は、個人としては間違いではないが・・・。
以下のような「孤島のドクター」の献身は、作り物の上にのったものか・・・。



何よりの脅威の元は、「権力闘争」では、信じられない残虐さを発揮して「粛清という大量惨殺」を
挙行してしまうし、「民族浄化」なる綺麗ごとで異民族を根絶やしにしてしまうのだが・・・。

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先日、明治大学で同学現代中国研究所主催の「『文革』とは何だったのか」というテーマのシンポジウム
が行われた。いわずもがな、今年は中国の文化大革命発動から50周年であるので各地でこの手のシン
ポジウムが行われているのだが、特にこれに興味をもったのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の
宋永毅教授が「広西チワン族自治区極秘?案に見る文革大虐殺と性犯罪」について講演すると聞いた
からだ。
文革期に広西チワン族自治区で組織的で凄惨な人肉食を伴う大虐殺が行われたことは、知る人ぞ知る
事実である。その事実について、実は共産党として詳細な報告書をまとめていたが、それは「絶密」(絶
対秘密)扱いで、長らく公開されていなかった。ところが、今年、宋教授が中心となってその膨大な機密
資料が編集され出版された。700万字以上36巻。
文革というものをとらえるとき、現場で何が起きたか、それを知らないでは語れない。同じ文革でも、北京
で起きたことと、内モンゴルで起きたこと、チベットで起きたこと、そして広西チワン族自治区で起きたこと
は違うだろう。広西チワン族自治区の文革について、この資料や宋教授の講演の内容をもとに、ここで
簡単に紹介しておきたい。

なぜここまで残虐を極めたのか

文化大革命とは1966年から1976年の毛沢東の死まで続き、77年に終結宣言がなされた中国全土で起き
た大政治・社会動乱である。大躍進政策の失敗によって政権中枢から退かざるを得なかった毛沢東が、
政敵・劉少奇らを失脚させ復権を図るために民衆を扇動して政治動乱をしかけた、というのが一般的な解
釈で、その本質は権力闘争ともいわれているが、研究者の中には、もっとマクロな視点から、旧ソ連の社
会主義に挑戦する中国式社会主義モデルの提起といった見方や、中国近現代史において唯一権力を公
に批判できた時代という意義を見出す考えもある。
中国国内ではひそやかに文革再評価論も起きているし、農村部では文革時代を懐かしむ声もある。
だが、具体的に文革で何が行われたか、という視点でみると、そういう政治論的な研究など吹っ飛ぶよう
な残虐行為のオンパレードだ。政治理想論の建前にしろ、権力闘争にしろなぜ、ここまで残虐である必要
があったか、ということの方が重要な本質テーマである気がしてくる。
この資料によれば、広西チワン族自治区では、文革期に約20万の冤罪事件があり、名前が判明している
だけでも約8万9000人が不正常な死を遂げ、行方不明者も2万人に及ぶ。名前の分からない死者は3万人
以上で、少なくとも15万人が虐殺されたといわれている。民間の調査では20万人以上が殺害されたとも
いわれている。
文革終結後、広西の党委員会組織は10万人の人員を使って4年かけて、「文革遺留問題」処理にあたった。
1986年から88年にかけて、党委員会はこの処理について上級機関に報告するための「広西文革?案資料」
を作成。この700万字にのぼるリポートでは、いつ、どこで、誰がどのように虐殺されたか、そしてどのよう
に「喰われたか」まで、ほとんど実名で詳細に記録されていた。これは「絶密」文献として外部の者の目に
長らく触れることはなかった。例外的に、のちに米国に亡命した中国人作家・鄭儀が、これら公式資料を
見て、またその資料に記述されている関係者にも取材し、広西地域の大虐殺・人肉食事件を告発したノ
ンフィクション文学「紅色記念碑」を書いている。
だが、それ以外にこの文革大虐殺の実体を世界に公式に発信したものは今までなかった。ちなみに「紅
色記念碑」の人肉食記述の部分は、「食人宴席‐抹殺された中国現代史」(カッパブックス 黄文雄訳)の
タイトルで邦訳出版されている。キワモノ本的タイトルになって残念だが、原作は緻密な資料と取材に裏
付けられた渾身のノンフィクションである。
この絶密資料は米国に密やかにわたっており、主要大学のアジア関係の図書館に分散して保管されて
いることが近年判明。宋教授は、今年6月になって在米華字メディア明鏡出版集団傘下の国史出版から、
この資料を整理して全36巻にまとめて出版した。

組織的な虐殺と食人

この資料で特に衝撃的だったのは、文革中、302人が殺害後に心臓や肝臓を摘出され、食べられた様子
が詳細に記述されており、広西地域で食人行為が横行していたことを改めて明らかにしていることだ。

特に被害がひどかった武宣県ではこういった記述もある。

「(1968年)6月17日、武宣に市の立つ日、蔡朝成、劉鳳桂らは湯展輝を引きずりながら町を行進し、新華
書店前まで連れていくと、龍基が歩銃で湯を打ち据えた。王春栄は刃渡り五寸の刀をもって腹をさばいて、
心臓と肝臓を取り出すと、野次馬が蜂のように群がって、それぞれ肉を切り取って奪った。
肉が切り取られた後、ある老婆が生殖器を切り取り、県の服飾品加工工場の会計の黄恩范が大腿部を
一本切り落として、職場に持ち帰り、工場職員仲間の鐘桂華とともに骨から肉を削り落として煮物にして
食べた。
当時、この残虐な現場にいた県革命委員会副主任、県武装部副部長の厳玉林は、この暴虐行為を目の
当たりにしても一言も発さなかった。当時、招集された四級幹部会で、会議参加者のそれぞれの代表は
人肉を食べ、非常な悪影響を与えていた」
また、これは文革という混乱に乗じた無知蒙昧な民衆の事件ではなく、共産党、国家の機関が組織的に
行った虐殺、食人であったことも、この資料からわかる。当時の広西チワン族自治区の党委書記の韋国
清は文革中、失脚することなく自治区トップの座におり続け、軍隊、警察、民兵らから絶大な支持を得て、
指揮し続けていた。虐殺のピークは、造反派と走資派が激しく戦った内戦時期の文革初期ではなく、19
68年7月3日に党中央の革命委員会が七三布告を出したあとに起きており、武闘の混乱に乗じて起きた
のではなく、毛沢東らが韋清国を支持した、比較的落ち着いた状況下で起きたものだった。
この資料で名前が判明している殺人者、殺人指揮者は200人以上、うち6割が武装部長、民兵指揮員、
民兵および幹部だった。食人行為を働いた84%は中国共産党員、あるいは幹部であった。チワン族自
治区と聞いて、食人行為が少数民族地域の特殊な文化背景があるという人もいるが、これは漢族が中
心の行為でもあった。文革中、自治区の5万人近い共産党員が虐殺、殺人に加担した。

陰惨な性暴力も横行

資料中で、欽州地区の報告書には次のような記述がある。
「1968年9月7日から17日にかけて、上思県革命委員会が四級幹部会を招集し、上思中学で、群衆によ
る公開殺人大会を開いた。このとき幹部、群衆12人が殺害されたが、一部の死者は腹をさばかれ肝臓
を取り出され、県革命委員会の食堂で煮て食べられた。食人には県の幹部らが参加した。同県の思陽
公社武装部長・王昭騰は大隊に殺人を命令し、その晩、ケ雁雄を殺害、肝臓を取り出して煮て、部下ら
と一緒に食べた。彼は部下らに、人の肝臓を食べると、大胆になると言って勧めた。翌日、王昭騰は、
さらに4人殺し肝臓を取り出し、二、三の生産隊ごとで、一人分の肝臓を食べるように命令を出した」
宋教授は広西地区における文革の特徴として、食人以外に、軍の複数の師団兵力を使って組織的に民
衆組織に対し攻撃と殲滅を行い、その派生事件として女性に対する性暴力が空前の規模で行われたと
いうことも指摘している。文革中、広西地区の農村では、父親や夫を殺害して妻や娘を凌辱することが
常態化し、資料には、225事件1000人以上の被害者が記録されている。
特に、性的暴力を伴う殺害方法は多重性、計画性、残忍性、変態性がみられるという。例えば、「1968
年4月25日、浦北県北通公社で、大隊が四度にわたり24人を殺害。肝臓を取り出して煮て酒とともに食
べた。この公社では180人が殺害された。…主犯の劉維秀、劉家錦らは、劉政堅を殴り殺したのち、17
歳に満たないその娘に対し輪姦後、殴り殺し、肝臓と乳房、陰部を切り取った」といった記述もある。
また、父親や夫を殺害後、犠牲者の妻や娘が、殺害当事者の妻にされることもあった。被虐殺者の妻を、
虐殺当事者が妻とすることを「改嫁」と言った。
「浦北県北通公社の旱田大隊革命委員会主任は計画的に22人を殺害、殺害前に、犠牲者の財産を調
べており、殺害後にその妻と娘四人が幹部らに嫁がされた。その時、改嫁証明費、出嫁費用として894
元が支払われた」。
これは単なる性的暴行以上に、長期にわたる女性に対する精神的迫害ともなり、これにより正気を失っ
た女性の報告もある。

「中国的特色」4点

虐殺やそれから派生する女性に対する暴行の本当の理由は、革命や階級闘争といった政治的目的以
上に、地主や富裕層からの財産没収や、その美しい妻や娘を奪うという下品な動機があったとみられて
いる。文革中、地元革命委員会は被虐殺者、被虐待者から「看守費」「専政費」「改嫁費」といった名目の
罰金を徴収していた。
なぜ、ここまで残虐非道になれたのか。なぜ、食人が流行したのか。文革が特別であったのか。
それとも広西地域が特別であったのか。わからないことはいっぱいある。

宋教授は講演の中で「中国的特色」という言葉を使った。

その特色とは、@地方政府が意図的に作り出した無政府状態。A高度な組織化による虐殺。B虐殺の
目的が階級の敵の生命を絶つことから、殺戮に伴う官能と快楽を得ることになっている。C一族郎党を
絶滅させるという方式が採られているが、これはその一族の財産(女性も含む)を奪うという動機が潜ん
でいる。これらの4点を挙げている。

そしてこういう特色は、実は文革で初めて起きたことではなかったという。

たとえば土地改革(1950−53年)でも、中国的特色の虐殺が起きていた。この土地改革で「一村一焼一
殺」をスローガンに、紅軍は地主・土豪に対する徹底した略奪と殺戮を行った。殺害された地主は240万人
以上ともいわれている。文革発動前の17年間、中国ではこうした高度な組織化による大虐殺の手法を政
治運動の中で繰り返してきた歴史があり、文革だけが突出して残虐であったとはいえないかもしれない。
文革の混乱期に、かつて経験した土地改革や右派運動といった政治運動の中で経験した略奪や婦女暴
行の快楽を思い出した者もあろう。

「文革」の本質を問う

文革とは何だったのか、という問いに対して宋教授は「共産党が文革以前に実施した17年間の政策の結
果である」と答えた。文革前の17年間の政策に対する錯誤をきちんと認めず、政治運動の中の醜悪な虐
殺を正当化してきた結果、文革の10年が起きた。では、文革で何が起きたかについていまだタブーが多く、
その後の天安門事件についてもいまだに再評価されず、共産党政治に対する批判を許さない今の中国
では、また、大虐殺をともなう政治動乱が起きても不思議ではないということなのだろうか。
習近平政権が、あまりに苛烈な権力闘争を、文革を想起させるような個人崇拝キャンペーンを伴って展開
している今だからこそ、文革とは何であったか、というその本質を問う作業を、中国問題にかかわる人たち
は続けていかねばならないと思う。

福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト/大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に
香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。
おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/101800068/
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「文化大革命」なる「アサヒる」機関のやさしい騒動も、その実体をみれば、単なる「粛清」という「虐殺」
であったは、歴史において「共産国家」のお得意の「人命無視」の恐ろしい側面である。



「中国の脅威など難しくて分からない」 「災害時にはまず自分が優先」
平和ボケして、こういった動画を見たら「うそだぁ」とでも叫ぶのだろうか・・・。
その時、やっぱり「備えあれば」を後悔しても、遅すぎる。
もっとも遅いから「後悔する」するのだが・・・。


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