BALL AND CHAIN

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zoom RSS いつもの如き「批判」、もうそろそろ

<<   作成日時 : 2014/11/12 11:24   >>

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傍から見れば、それって「お国自慢?」的な揶揄も含まれようが、自虐的
歴史観を振りかざされて、卑しめられるよりはよっぽどまし・・・。

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どうにもこうにも「言論」に蔓延る花畑意識は、今更ながらに「なんのこっちゃ」
なものが多くて辟易してしまうが、それでないと禄を食めないとなれば、バック
ボーンに職業上の「詭弁」が入り込み、評論のイカガワシさばかり目に付いて
「今日も今日とて、晴朗なれど波高し」で、行く末は多難・・・。
と、考えてしまう記事をば・・・。

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文明評論家の加藤典洋氏は日本記者クラブで「70年目の戦後問題」と題して
講演し、「慰安婦問題でも、日韓併合問題でも、中国侵略問題でも、謝るべき
はしっかりと、自分の顔と声を持って謝ることが重要だ」と指摘した。
その上で、「謝罪は戦争の死者たちの死を哀悼する行為でなければならない」
と強調した。加藤典洋氏は戦後日本を代表する思想家の一人としても知られ、
近著『人類が続くのではないとしたら』は大きな話題を呼んでいる。講演要旨は
次の通り。

現在の日本の戦後問題とは、対外的には戦後70年を経て、なお戦後が終わっ
ていないことである。
対外的には米国、東アジア近隣諸国との関係が存在し、これは異常なことであ
るる。
国内的には、(1)社会の成熟化、少子高齢化の中で震災復興、原発事故への
対処、再稼働、国債1000兆円超への財政問題の先延ばし―など無責任体制、
(2)戦後価値の減退、枯渇など右傾化の進行―が続いている。
対処方法としては、「戦後の思想的遺産」に基づいた新しい道義、理想、誇り、
アイデンティティの提示が必要である。
私は「第二世代の戦後論」ともいうべき、『敗戦後論』に述べてきた考え方に立つ、
やがてやってくる世代に向けての働きかけの論を作ってみようと思う。
私はこれまでプライドとかアイデンティティとか誇りという言葉に、どこかよわよわ
しい響き、強がりの語感を感じ、これを使うことを忌避してきた。
それは弱い人々がすがりつく言葉、概念だろうと感じてきたからである。
いま大事なのは、そういう弱さの中に多くの人が置かれているという状況判断である。
こうした状況の中では、誇りとか、理想とか、アイデンティティなどこれまでなら「強
がり」「空疎」「紋切り型」と聞こえてきた言葉を、いかに実質的なものに鋳造し直し
て、再提出できるか、ということなのだ。
今こそ「弱くなった」人々への訴えが必要である。
たとえば、慰安婦問題でも、日韓併合問題でも、中国侵略問題でも、謝るべきはし
っかりと、自分の顔と声を持って謝ることの重要性を訴えたい。
謝ることにこそ強さがあるのだ。
過去の自分の国が為した間違いを「謝る」こと、自分たちの「誤り」を認め、それと向
きあうことが、戦争の死者の「無駄死に」に応え、自分たちの道義の「強さ」「まっとう
さ」「未来性」のカギとすることで、彼らの「死」を弔うことにもつながる。
第一世代の戦後論では、「謝る」ことは、自分を否定し反省することが大事だ、という
教えで、そこに戦前の死者との関係は問われていない。
日本の戦後においては「謝罪する」には、新しい論理が必要だ。謝罪は戦争の死者
たちの死を哀悼する行為でなければならない。
こうしたバックボーンなしに、戦前にやれなかった大改革と理想の追求と、責任看過
へと、歩みだすことはできないというのが、現在の考え方である。(八牧浩行)

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自国を礼賛する本やテレビ番組の弊害について/Togetter
 21時間前/山崎雅弘 @mas__yamazaki 2014-11-05 13:20:01
http://togetter.com/li/743378

 一等国を目指して「外から学ぶ姿勢」に邁進した明治・大正の日本は、一定
の繁栄を得ることに成功しましたが、その成功で政府や軍の首脳部、そして国
民の「面子」も肥大してしまい、昭和初期・戦前戦中の日本は自国中心の傲慢
な思考に陥り、明治・大正期の成功を全て台無しにしてしまいました。「面子」
が大きくなればなるほど「外から学ぶ姿勢」は小さくなり、やがて国は滅亡の
危機へと転落しました。
この歴史の先例は、我々に何を教えているのか。「日本の何々はすごい」
「日本人は偉い」という、一見すると人畜無害に見える自国礼賛の本やテレビ
番組の氾濫は、この国をどこに導くのか。考える材料の一つにしていただけれ
ば幸いです。
以下の「まとめ」も内容的に繋がるので、併せてご覧ください。
「名誉」と「面子」の取り違えについて - http://togetter.com/li/725338

* * *
外国人と話したり、外国人の書いた物を読んだ時に、自分が特定の事象を
「なぜ、と感じるセンサーのスイッチを切っていた」「思考にふたが乗ってい
た」ことに気づかされることは結構ある。それが楽しい。歴史や外国文化と戯
れたり、一人で外国を旅行する時にも、その楽しい感覚を求めている一面がある。
木村正人「『ダボス会議』を主催していることで有名な世界経済フォーラム
(WEF、本部ジュネーブ)が28日、各国の男女平等度を指数化した『ザ・グロ
ーバル・ジェンダー・ギャップ報告書2014』を発表」
http://blog.livedoor.jp/tsubuyaitaro_2014/archives/1012529469.html

「日本の男女平等度は142か国中104位」「国会議員の女性比率142か国中126
位」「閣僚の女性比率142か国中98位」「女性の昇進142か国中112位」「高等
教育の男女平等142か国中105位」グローバル人材育成と言うなら、まず世界と
日本の落差、日本の人権や不平等の現在位置を国民全体に周知することが先決
だろう。
「日本はすばらしい国」「世界から尊敬されている」等の自国自賛本が書店
に氾濫する国が、国際基準では「男女平等で先進国最低」「142か国中104位」
というのはグロテスクな光景だと思う。評価が実情に合致しているなら、現状
は「かなり恥ずかしい国」だが、愛国者の人は気にならないのだろうか?
「日本人女性は、男女平等において先進国最低の国で我慢している」「世界
全体でも男女平等で下から数えた方が早い」本当に国の名誉や誇りを重視する
なら、この状況をすぐに改善しようと動かないとおかしいが、元航空自衛隊幹
部をはじめ、この国の愛国的な人は日本人女性の人権問題には驚くほど冷たい。
先日の「報道の自由度ランキング」もそうだが、こういう評価のデータは健
康診断の結果のようなもので、それを基に生活習慣や食生活を変えたりできる
かどうかに知性や判断能力が表れる。瑕疵をあら探しして信憑性を否定し「無
視しても大丈夫」と言う態度は、自分の将来を改善するチャンスを捨てている。
外国に行くと、例えばデパートなどの重いガラス扉を開けた後、続いて来る
人のために手で押さえて待つのが「マナー」の国があり、これは合理的だと思
うので日本でも真似しているが、それを「欧米信仰」などと曲解する人も結構
いる。真似することで「自国がさらに良い国になる」という発想がなぜか無い。
自分個人や所属集団の「面子」にこだわり始めると、他人や他集団の中で優
れている点があっても、それを褒めたり真似したりできなくなる。「外」と
「内」の間に障壁を立てて、障壁の中にいる人間だけで「内はこんなに素晴ら
しい」と自賛し合って「面子」を保とうとする。改善や成長より面子を重んじる。
「内輪褒め」だけでは「面子」を保てなくなると、「外」の個人や集団を見
下し、貶めることで、かろうじて「面子」を維持しようとする。この二種類の
言説が、同じ人間(著者・論客)から発信され、同系統の媒体で伝達されるの
は偶然ではない。「面子」への執着は一見魅力的だが、多くのものを失わせる。
「面子」に思考を支配されている人間は、一度決定したことを改められない。
改めると自分が「間違っていた」ことになるので、間違いを認められない。満
洲国とリットン調査団、日中戦争の泥沼化、戦前の経済封鎖への対応など、
「間違い」を認められなかったがために、より攻撃的で独善的な道へと進んだ。
内田樹さんの『街場の戦争論』で、もし日本政府がミッドウェー海戦の敗北
直後に講和していれば、という仮定の考察があるが、私も歴史を分析する時に
「もし」という視点で考えることがよくある。もし鋼鉄のような「面子」が指
導部の意志決定を拘束していなかったら、戦争の行方と戦後はどう変わったか。
戦前戦中の日本が選んだ選択肢の多くは、後世から見れば「なぜ失敗すると
わかっている道を選んだのか」と疑問に思える悪手だが、面子に固執する思考
では、それが「最善」に思え、それより合理的な方策は「面子が潰れる」とい
う理由で選択肢から外された。その結果として大勢の日本人や外国人が死んだ。
戦前戦中の日本では、教育勅語を利用した皇民化教育によって国民の国家神
道への恭順を強める方策がとられたが、それは同時に国民の面子を肥大させる
上でも大きな効果を発揮した。外国に出た経験の無い日本国民は「八紘一宇」
などのスローガンを信じ、日本人はアジアで最も優れた民族であると錯覚した。
国の指導部が戦争の危機に際し、失敗が予想されても面子が潰れずに済む道
を選んだ理由の一つは、面子の肥大した国民が、それ以外の「合理的だが面子
は潰れる方策」を選択肢に含めることを許さなかったからだった。そして、国
家神道の思想教育と共に国民の面子を肥大させたのが、当時のメディアだった。
「内輪褒め」と「外をけなす」言説は、受け手の「面子」を慰撫する一時的
効果が高いので、出せばそれなりに売れる。売れるからという理由で次々とそ
の種の言説を送り手が市場に供給し続ければ、国民の「面子」は際限なく肥大
して「面子が潰れる方策」を許せなくなる。また前と同じ道へと進みつつある。
多くの人が「最近、日本の何々はすごい、日本人は偉い、みたいなテレビ番
組が増えた」と指摘しているが、一見すると人畜無害に見えるこれらの「内輪
褒め」に、実は「面子の肥大」という目に見えない弊害が伴っている。「面子」
が大きくなればなるほど「外から学ぶ姿勢」は小さくなり、国は衰えていく。
明治・大正の日本と昭和初期・戦前戦中の日本は、形式的には共に「大日本
帝国」だったが、決定的に違うのは「外から学ぶ姿勢」の有無だったように思
える。前者は、一等国を目指して「外から学ぶ姿勢」に邁進し、一定の成功を
収めたが、成功で「面子」も肥大してしまい、後者はその成果を台無しにした。
今晩のテレビ番組。「所さんのニッポンの出番!【外国人が日本人を絶賛!
驚きの日本を次々公開】今夜も外国人が日本人をホメまくる」「ありえへん∞
世界<世界と日本の知られざる絆スペシャル>海外で活躍した『知られざる波
瀾万丈な日本人』を発見!」「世界の日本人妻は見た!」確かに増えてるな…。
「先進国」というのは「すごろくの上がり」のようなイメージで語られるこ
とが多いですが、そのマスに入っても永続的繁栄が保証されるわけではない、
と最近改めて思います。経済的な指標の数字では「先進国」でも、人権意識や
労働環境などがいつの間にか「後進国」へと逆戻りしている。@mig76fk
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戦後は終わっていないや、お国自慢が許されぬ土壌を作り出したのは、
どこの誰だとなれば、マイナス思考しか認めなかった戦後の似非博愛主義
のメディアの功罪は大きいとなりそうで、このテレビの「お国自慢」的取上げ方
に不満を募らせると、こういった言になるのだろうが、日本人における興味の
本質は「好奇心」ってのを、すっかり忘れてしまって、その好奇心が次へ繋がる
発展を支えたのに、言論だけは「後戻り」を強要しているかのようだ。



こんな歌がある。邦題は「悲しき雨音」原題はといえば「雨の旋律」てな
直訳すればなるが、この失恋ソングに合う題名となれば、邦題の方が
よりしっくり来る。もっとも当時は「悲しき」の枕詞が流行していた・・・。
にしても、内容に合う邦題の付け方に、当時の音楽に対する好奇心が
溢れていると見て取れる。何しろほとんどが邦題の歌になって、それに
和訳の歌も多かったのだから・・・。
最初は真似から始まりは、大概のそれで黒人ブルースに興味を持った
白人がそれに憧れて「真似をした」それが世界へから、今へと繋がる・・・。

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こういった思考法では、音楽の先行きも暗かったろうが、こんなことを
真剣に考える人もいないから、どこでも「自慢」と「憧憬」とが歌を豊かに
した。



この歌の歌詞なんて、下手すりゃ「自己満足」な、それでいて自己暗示に
掛けようとする「乙女心」なんてのが感じられて、振り向かせるのに懸命
な「アイドルを探せ」って・・・。

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こういった御本も、上の人々にとっては戦後は終わっていないし、被害者
に対する謝罪も賠償も済んでいないと、七十年間叫び続けるが、戦いの
側面には、こういったこともある。
そして「模倣」から始まる音楽の世界も、独特の世界観のある人も出現し
てきて、中性的歌詞、いやどちらかといえば、男性的な物言いで「自立」
した逞しさを鼓舞してくれる。



このドラマを見たことは一度もない。それでこの曲をしったきっかけは動画。
「最終兵器彼女」のバックに使われていたのを聴いた。
アイデア的には、この曲の悲壮感も加味した応援歌は、あのアニメの
ベースに似合っていた。まぁ、日本にはそんなことより「著作権の賃料」
しか頭にない人々がいて、動画の広がりによる影響は微塵も考えない
なんともな公共的偏狭さの人々によって、公告宣伝的動画としての価値
には見向きもしないのだから、一体全体税金を投入する「クール・ジャパン」
の欺瞞では、税金投入の無駄・・・。
市井の人のアイデアに、告知能力ありが証明された動画である、そこに援助
として「著作権」を請求するのは広告主体にしろっで、より効率的広告宣伝費
の使い方になる。



あのフィギャアの羽生選手、この楽曲を使ったら、より民間外交として人の心に
影響して、日本の良さを強めてくれるかも・・・。
あっちの方でも、詩を変えて歌っているし・・・。



言論の虚しい「自虐」も、たった一つの楽曲ですっかり忘れ去られてしまう。
もうそろそろ「洗脳の不遜」を、止めたらいいのに・・・。





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